83号 第1会議室 (2000/10/09)up down
   ● 政治家の引き際
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 「政治には不祥事はつきものだ」
 残念ながら,諦めにも似た思いが国民の中に広がっているような気がします。例えば,最近の例では「久世金融再生委員長(当時)の党費立て替え問題」などにしても多くの国民にとっては,「またか」の思いが強かったと思います。
 いつまでも変わらない,政治とお金の関係にうんざりしているのが現状でしょう。
 また,そんな疑惑をもたれたり,明らかになったりしても「自らの責任の所在を明らかにしない」政治家があまりにも多すぎるのも問題です。

 では,そのような疑惑が発生したとき,または存在したときにどのように対処するべきなのでしょうか。今,そのことを考えるべきであると思います。

□議員の特権

 例えば,国会議員などでは「国会開会中の不逮捕特権」などがあります。しかし,一番の特権は,議員になれば例えその任期中にスキャンダルを起こしても,自らが辞職を願い出ない限り,辞職しなくてもよいことにつきます。もちろん,この間の報酬はすべて支払われます(但し,禁固以上の実刑を受けた場合は辞職)。

 その場合,議会では「辞職勧告」という方法を採ることが出来ます。しかし,この辞職勧告は,法的な拘束力を持たないため,出したからと言って当事者が議員を辞職する必要はありません。

 このことは,有権者に非常にわかりにくいかもしれません。

 有権者にとっては,「辞職勧告」=「議員辞職」と捉えがちですが,その勧告に従わない議員もおり,その間,次の選挙まで議会に出席をし,報酬をもらうということが行われます。しかも悪いことに,その情報はなかなか有権者のところまで伝わらないのが現状です。

 例えば,オレンジ共済による詐欺罪に問われている友部達夫被告は,あの事件があって以来,一度も国会に登院していないにも関わらず。参議院議員の身分にあります。
 もちろん,参議院としては「辞職勧告」は行っていますが,本人が無実を主張し,現在も公判中であれば,その間の報酬などはすべて支払われることになります。この報酬は,オレンジ共済被害者救済に充当するために,本人には直接渡らないようにはなっていますが,これほど国民を馬鹿にしている話もありません。
 この事件もすでに,起こってから3年を過ぎようとしています。しかし,現在も友部被告が参議院議員である,ということを知っている国民がどれぐらいいるでしょうか?。

 こういった,情報の断絶が「議員の身分のままでいてもいい」という安心感を持たせる要因にもなったいます。
 こういった状況の時にできることは,地方議員であれば「リコール」という手段を講じることも可能です。しかし,このリコールであっても,辞職させるためには選挙区の有権者の3分の1を1ヶ月で集めなければならないという高いハードルが設定されています。

 つまり,議員は法的にかなりの身分保障をされている職業であると言えます。


□禊(みそぎ)

 この意味するところは,「海や川の水で体を清め,罪や穢(けが)れを洗い流すこと。」(大辞林第2版)とあります。しかし選挙用語では,「有権者の信託を受け当選し,罪を洗い流すこと。」と言えるかもしれません。

 確かに,罪を負ったり,疑惑をもたれたりしても,有権者の判断により次の選挙で当選を果たしたのならば,さも「事件は過去のことです」と言う議員を,今まで多く見てきました。しかし,本当にそれで済むのでしょうか?。

 議員は,ある地域の選挙区から有権者の信託を受けて活動を行います。これは,議会活動であり,政治活動と呼ばれるものです。ですから,有権者がその議員を必要とするのであれば,当然当選回数は増えることになります。このことは政治の流れの中では非常に重要な基幹をなすものです。

 代議制と言われるシステムでは,もちろん有権者の代弁をするのが,議員の主たる役割となってきます。しかし時代や社会の流れのなかで,どうしても代弁だけでない,議員としての資質を問われる問題が,往々にして起こってくるのも事実です。
 その時に,議員は有権者の代弁者でありながら,一議員としての理念などに基づいて判断をしなければなりません。

 例えば,消費税導入の時に世論は大反対を起こしましたが,時の政府は将来的に必要になってくる税制度だとして強硬に導入をしました。それが今日,結果としてどのようになっているのか。国の財政赤字の増加を考えると,今では消費税がなければもっとひどい状況になっていたかもしれません。
 こういった,将来的には国民に納得をしてもらえる制度であっても,当初は国民の賛成を得ることは難しいときに,よく言う「政策的判断」が行われます。

 この判断基準は,もちろん議員の理念であったり,良識であったりするわけです。

 では,この「政策的判断」を言う議員が,いざ自らに関係することになると「及び腰」になるのはある意味で「ダブルスタンダード」であるといえます。国民を納得させるためには,自らの理念や良識の中に「ダブルスタンダード」を持ってはいけない。そのことを議員の「禊は済んだ」の言葉を判断するときに持っていただきたいと思います。


□議員の身の処し方

 議員の身分は法的に保障をされています。また「禊」という使い勝手のよい言葉も政治の世界には存在します。このときに,議員はどのように身を処すべきなのか。

 よく事件を起こした議員は権利という言葉を主張されます。
 確かに,「辞職勧告」や「禊が済んだ」議員にも,議会に出席する権利は議員である限り等しく所有しています。
 しかし議員として,ある時には有権者の声を代弁し,またある時には自らの政策を主張するのであれば,それに伴う義務や責任が発生してきます。そして義務や責任は,自らの持つ権利以上に議員の良識の中になければならないものです。

 たとえ,次の選挙で「禊」が済んでも,自らの良識にある汚点は拭えませんし,まして一度ついてしまったイメージで,今まで通りの議会活動や政治活動が行える保障はありません。
 そのことを議員となったものは持ち続けないといけない理念であり,自ら出馬した時の理想を考えると,恋々とすべき職業でないと自問しなければならないと思います。

吉田


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