第95号 第1会議室 | (2001/01/08)![]() ![]() |
● 21世紀の政治家に求められるもの ● |
20世紀後半には,政治の役割が注目されるよりも,経済の動向がより注目されるようになりました。グローバル化とIT化によって,経済の動きが大きく変化をする中,相変わらずドメスティックなことに執着してしまいがちな政治が,時代の流れや人々の意識の中で取り残されてきています。 確かに経済の発展はすばらしいことです。しかし,それに伴って失うものもでてきます。そのバランスを,政治がどのようにとっていくのかが問われてくると思います。その政治を司る政治家が,これからの100年で果たす役割は,決して少なくないと思います。 経済的な先進国では,政治への関心低下が言われるようになりました。豊かになったゆえに人々の価値観が多様化し,YesかNoで選択するようなことが難しくなっている国が出てきました。 その中で政治家は,価値観の多様化に見合ったような多くの選択肢を用意し,魅力あるものへ,そしてより多くの人々に参加してもらえるものへと変えていかなければなりません。 そこで今回は,新世紀に求められる政治家像とは何かを考えてみたいと思います。 わが国で,特に20世紀後半に起こった政治不信には,概ね政治家を原因とするものが多くあります。「政治にお金がかかる」=「政治家は悪いことをする」というイメージは政治不信の原因たるものの,最たる例ではないでしょうか。 このイメージがゆえに,またそのとおりに何度も繰り返される政治家とお金にまつわる話が国民に与えたのは,『政治家の話は信用できない』という不信感です。あるアンケートでは,信用できない人の順位で1位の「占い師」に次いで2位に「政治家」が挙げられるまでになっています。本来,政治家の仕事は大変な労力の割には,報われることが少ないものであり,国民から尊敬をされることはあっても馬鹿にされることなどないはずです。国民の政治不信により政治家が失ったものは,国民の代弁者としての信頼です。また,仕事を馬鹿にされることは,政策決定をし,国を導く責任者としての屈辱です。今こそ,政治家が国民の代弁者として,また国を導く責任者としての信頼と尊敬を国民から得る,本来の姿を取り戻さなければなりません。 さて,では,これからの政治家に問われるのものとは一体何でしょうか? 今回は,3点ほど政治家として必要な言葉を選びました。 -------------------------------------------------------------- ■ 1,Disclosure(ディスクロージャ) よく耳にする言葉ですから,説明は不要かもしれません。 政治家は,政治を行う上で情報を入手しやすい立場にあります。その情報はそもそも国民のためにあるものですから,還元されなければなりません。しかし,そのことが実行されてきたかといえば,なかなかそうは言えません。 国民の代弁者であるという面を持つ政治家は,やはり国民に対して政治に関することを公開していくことで,国民も政治に参加していることを意識させていく必要があります。 また情報が公開されることになれば,時に忘れがちな国民の目を常に意識し,政治家の行動を自制させることにもつながります。 近年,住民投票を求める運動が国民の間に広がっています。制度として存在することは,国や地域がどのような事態になるかわからない今の時代において,国民にも意思表示をする選択肢を増やす意味でも必要なことです。しかし今の状況を見ると,選択肢を増やすことの意味以上に,政治家や議会への不信感が先に立って運動を推し進めているようにも見受けられます。 政治家が常に情報を公開していれば,このような運動の展開にはならなかった事態もままあります。国民が持つ政治不信を払拭しさらなる政治参加を促すには,政治家自身がDisclosure(ディスクロージャ)の意識を持つことが必要であると思います。 -------------------------------------------------------------- ■ 2,Accountability(アカウンタビリティ) この言葉は,最近の政策評価制度を導入しようとする流れの中でよく耳にする言葉となりました。「説明責任」と訳されているように先ほどのDisclosure(ディスクロージャ)とも密接に関連してきます。 いま行われている政策がどのような理由によって行われいるのか,みなさんお聞きになったことがあるでしょうか。 例えば,いま国政の場で議論され,行われている景気回復という名の積極財政政策が,他のどのような政策と比較をした上で優れていると判断をされて行われているのかご存じでしょうか。 政治家は,理念的なことから始まって,政策的なことまで,なぜそれを選択したのか国民に説明する責任が本来あるはずです。その選択を国民に判断をしてもらい,成功か失敗かは次の選挙で審判を仰ぐという本来のプロセスが必要です。そのためには,政治家自身の言葉で自らの選択を説明していかなければなりません。それが本当の意味での「政治主導」であると思います。 -------------------------------------------------------------- ■ 3,Resolution(レゾリューション) 耳慣れない言葉ですが,「覚悟」と訳させてもらいました。 実は政治家とは,多くの人が思っているほど身分的には安定していません。普通の任期で4年。国政の衆議院になればそれよりも短くなりますし,長くても参議院の6年です。そして,選挙に落ちてしまえばその時点で無職となってしまいます。 そのような不安定な職業にあっては,よほどの大物になれば別ですが,家を買うなどローンを申し込むときなど断られてしまう議員もいるほどです。銀行へ人を紹介するなどでは信用はありますが,議員個人としての信用はないというわけです。 職業としては安定しない政治家ですから,時として自らの保身を考えることは人として当然の行為です。しかし,そればかりを気にしていては,あくまでも国民に人気取りの政策しかできなくなります。時と場合によりますが,不人気となる政策を選択しなければならないときが出てくるかもしれません。つまり,政策的な判断で国民に苦い薬を飲ませることになり,下手をすると次の選挙の時に落選の憂き目にあう可能性がある選択を,あえてしなければならない時がくるかもしれません。そのときにレゾリューション(覚悟)が出来るかどうかが重要なポイントであると思います。 政治不信といわれる中で,自らの言葉で発信し,それが政治家の覚悟に基づいて行われることを国民は望んでいるのではないでしょうか。 子ども達の夢に,「政治家」と自信を持って言われるような時が来るのはいつの日になるでしょうか。その日こそ,本当に政治家が信頼されたときではないでしょうか。 (吉田)
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